La vie de Ballet ~レッスンから学ぶバレエ事典〜

バレエのレッスン中に教えて頂いた事、感じた事、発見した事、バレエ作品の歴史やあらすじ、バレエのパに関する事、筋肉の使い方などなど、バレエに触れる中で気づいたことを忘れないように書き留めています。

羊と鋼の森で考えたこと

随分前に買ってずっとそのままになっていた本「羊と鋼の森」を読みました。
感想をあまり上手く表現できないのですが、心に留めておきたい言葉や文章がある本でした。

一言で言うと新米ピアノ調律師の外村君の物語。

そもそもピアノ調律がこんなに奥の深いものであることを初めて知りました。
ショパンコンクールでの調律師に焦点を当てたNHKドキュメンタリーを見た事がありましたが、一般家庭の調律でもこんなに奥が深いんだなぁ~と。

調律に才能が必要かどうか先輩調律師に尋ねる場面。
今はまだそのときじゃない。才能が試される段階にさえ、僕はまだ到達していない。
・・・・
僕には才能がない。そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。・・・・才能という言葉で紛らわせてはいけない。あきらめる口実に使うわけにはいかない。経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがあると気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。

そして先輩柳さんの言葉。
「才能って言うのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか。どんなことがあっても、そこから離れられない執念とか、闘志とか、そういうものと似てる何か。」

双子のピアニストを目指す高校生のうちの1人が病気でピアノを弾けなくなった時の場面。
ピアノをあきらめることなんて、ないんじゃないか。森の入り口はどこにでもある。森の歩き方も、たぶんいくつもある。

コンサートチューナーについて考える場面では、
僕の目指すものは別のところにある気がした。
・・・・・
目指すところがあるとしたら、ひとつの場所ではなく、ひとつの状態なのではないか。
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、厳しく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」何度も読んで暗記してしまった原民喜の文章の一説を思い出す。それ自体が美しくて、口にするだけで気持ちが明るむ。僕が調律で目指すところを、これ以上よく言い表している言葉はないと思う。

バレエについてもやもやとずっと考えている事。
プロを目指すわけじゃない。
たとえ素人の発表会であれ、いずれ舞台に立てなくなる時もくる。
才能がある訳じゃない。

羊と鋼の森を読んで、バレエとの向き合い方でモヤモヤとしているものが、何がモヤモヤとしているのかがわかったというか…
私の稚拙な文章にすると何だか凄く安っぽくなってしまうけど、とても良い本でした。

10代の時に読んだ本「贈る言葉」(柴田翔)の中の一文、「・・・・そういうものが全て外交官になるという一事に結びついていくことは寂しいと思った。」(細部は多分違う)と同じ位印象に残る文章が散りばめられた本でした。